神経科学におけるアイデンティティの確立 S. T. Casper, "History and Neuroscience"

・Stephen T. Casper, "History and Neuroscience: An Integrative Legacy," Isis 105(2014): 123–132.

http://www.jstor.org/stable/10.1086/675554

 

ABSTRACT

 ニューロカルチャーは1980年代の後に、人間の振る舞いの神経学的な説明において経済的、司法的、規範的な意味を見出した社会文化的な様式として出現した。それは神経により提供される力強くも柔軟なメタファーによっている。この儚いメタファーにより強化された神経科学の学問は“脳の”あるいは“神経科学の”ものそれ自身としてのアイデンティティを確立した。

 ニューロカルチャーの主張は神経系の器官に対して社会基準、法律学、経済行為、そして人間の歴史にさえ自然的な基礎を生み出すような普遍的性質を吹き込む。歴史的には、そのような普遍主義はビクトリア朝の時代から、思考や脳に関心をもつ優れた臨床医や科学者のレトリックにおいて現れてきた。普遍主義の支持者は神経系を身体と思考とを統合するものとして概念化し、神経系の科学と生物学、医学、思考との間にある重なり合う関係を主張した。普遍主義と統合のレトリックはそうして、身体の理解とその時代の文化的切望を焦らすことの両方に光を当てるような神経系について考えること、話すこと、働くことの意味を提供した。

 

CIVILIZATION, MODERNITY, NERVED: SYNONYMOUS DOORS

 1929年のF. Buzzardの講義は、神経系の解剖学的、生理学的、病理学的、臨床的な観察の概観から始まり、神経学は教育者や社会学者が耳を貸す必要のあるような真実を含んでいる豊富な証拠がある、という主張にまで及んだ。しかしより一般的には、この講義はクリミア戦争から世界大恐慌に及ぶまでのイギリスの近代性を支配してきた膨大な問題に注意を引き起こす。彼の父Thomasの神経疾患の専門性を持ち合わせた医師としての功績と、息子Farquharのもつ運動能力が、個の遺伝的な体質や体力についての文明の存続をますます予言した文化を指摘したのである。

 それにも関わらず、専門家の注目すべき傾向は、彼らの知識の卓越性を公に示すことであった。彼らの知識や目的が文明の中心にあったのだと宣言した。例えば、S. Spahrにとって、あらゆる社会的・道徳的事実が精神活動から生じることや、神経学や心理学が永遠に“自然における人間の位置や運命”を解決するであろうことは明らかであった。19世紀と20世紀初期の医師や科学者たちは、欠陥のある神経機能を、社会的悪性や文化的退歩の根源であると主張した。これはビクトリア朝の科学と医学から、大衆文化、広告、そして恐らくは迷信とさえいったものへと伝承された言い回しであった。 

 

THE INTEGRATIVE WAYS AND MEANS OF UNIVERSALISM

 H. Spencerは“私たちにおける子どもと大人の思考”に見られるそれらの違いの追憶として、野蛮な思考と文明的な思考とを見事に比較してみせた。彼にとって神経系の中に見られる機能の特殊化は、文明の進歩やあるいは崩壊を映し出していた。イギリス精神学の開祖とされるJ. H. JacksonにとってのそれはSpencerの偶像よりも制限されたものであった。社会漸進的な進歩は、神経学者を医学の統合的な労働者として専門家の役割を果たすような存在にした。神経系は身体と思考の組織を統合した。そしてまた、JacksonやT. Buzzardらは1886年にロンドン神経学協会を創設し、その初代名誉会員にSpencerを選任することで、医学の社会的準備をも統合した。

 神経学者のH. Headは“中枢神経系の機能はパリンプセストではなく、そこでは新しい文書が以前の原稿を書き換え、部分的に消去される。より原初的な行いは、新しい中心の出現により大いに修正される”として統合的な理想を表現した。Head独自の考え方は、近代的な人類学、社会学、精神学、そして心理学の広い潮流を特徴づけ、そのような知識を超歴史的な存在とする見方を許した。統合的観点が支持したそのもっとも明確な仮説は、病理学的な状態が個人の患者の病歴だけでなく、特定の人間性の経歴をも明らかにしたというものであった。神経は人間生理学と人間心理学とを、そして究極的には広範な文明とを繋ぐ、統合的なシステムであると宣言された。

 

SUPERSTITION, SELF-HELP, AND NORMATIVE SOCIOLOGY

 精神的特徴の進化の問題は、自然淘汰の支持者たちに論争を生み出し、彼らをゴシックとフィクションの世界へと立ち入らせた。それらの著者たちは、人間の神経系を、直ちに個人の弱さの源、社会的な後退、そして文明の進歩として指摘する。その傾向は、R. V. Pierceにより脳、脊椎、神経といった身体の器官の解説と一緒に説明されている。彼によると現代は工学、電気の時代であるとともに神経質の時代である。神経の興奮や弱さを意味する神経質は、その時代の強さを増す悪弊、その時代の生理学的特徴である。社会、科学、ビジネス、技術、文学、そして宗教にさえ、不安な精神や、無慈悲にもその被害者に駆り立てる競争の熱意が浸透している。

 Pierceはまた、異なる人種を試験すると大脳半球の成長と知的能力の成長のあいだの対応関係の証拠を発見するとして、人種問題も持ち上げた。ここではアフリカのブッシュマンを取り上げ、原始的な人は文明化された近代性の出現により修正されてきたのだと主張した。人種、階級、退化についての議論がヨーロッパと北アメリカを通じて多くの目的を提供するのは自明のことであった。そのより良い視点は、普遍的に共有された本質的な存在を結論づけることではなく、むしろこの神経の心象が柔軟であり豊かなメタファーであったということである。要するに、それは多様な目的に適しており、説得の手段として著しく有用なものであった。

 

HOW POSTDISCIPLINARIANS BECAME NEUROLOGIANS

 どの科学の歴史家や社会学者も、1945年以降の神経学の世界的な成長を説明したり、基本的、臨床的、そして社会的神経科学と広く名づけられた学問分野の急増に対する説得力ある説明を生み出したりはしなかった。1958年にW. R. Brainが神経学を次のように定義している。即ち、神経学は生理学、精神医学、病理学、細菌学、外科学、その他の学問分野において疑いなく役割を果たし、これらの全ては神経学への貢献がある。そして神経学者はこれら全ての領域の専門家にはなり得ないが、教育、経験、そして神経学との関係において節点となる機会により、最も適した人物である。

 あるいは生理学者のJ. Z. Youngは“私たちの科学が、残りの全ての学問の基本である神学と競い合う過程にあることを誇りに思おう”と述べた。Youngのこの言明は、現代のニューロカルチャーの宣言として解釈されるだろう。“過去において、私たちは解剖学者なのか、生理学者なのかそれとも生化学者なのか、心理学者なのかそれとも薬理学者なのかが確かでなかった。しかし今、私たちはアイデンティティを持っている…私たちは神経科学者である”

 

CONCLUSION: CIVILIZATION’S INTEGRATIVE JUNGLES

 神経学者のC. J. Herrickは著書『人間性の進化』の中で“ジャングルの法則”について言及し、文明の“積極果敢な闘争”とその“商業的利用や巧みに人を欺くような宣伝による巧妙な服従の方法”には“私たちが心に抱いた全ての価値の全面的な破滅”の恐れがあるだろうと記した。ジャングルの野蛮と文明のようなものは、統合的な理想の遺産であり、膨大なレトリックの辛辣さと普遍的な強い願望とによる脅威と希望の二重性であった。

 ニューロカルチャーにおいて私たちは科学と医学の歴史に対する全く異なる問題に直面する。これらの論評者は、それにおいて過去の専門家たちによるアイデンティティ形成の努力の産物が、認知的な科学や医学の実際的な目標、つまり新しい坩堝としての脳の科学や医学の彼らの構想に適った考え方となってきたような、科学、医学、バイオパワーの閉じた世界を占めるようである。