ラテンアメリカの人間科学 Rodriguez, "Beyond Prejudice and Pride"

・Julia Rodriguez, "" Isis 104 (2013): 807–817.

http://www.jstor.org/stable/10.1086/674947

 

 

ABSTRACT

 

もしラテンアメリカが世界の科学の生産者であるなら、どのようにして知識がある特定の場所から一般的な循環へと移るのだろうか。そしてその地域の環境への影響と適合性についてはどうであろうか。D. Livingstoneが“科学の地理学”と呼ぶものの枠組みにおいて、ラテンアメリカがこれらの問題を探求するための肥沃な土壌を提供する。この概念は、地方特有の状況を科学知識の国境を超えた生産のための重要な要素として含み入れるものであるが、しかしその究極的な目的は、単に地域のミクロヒストリーではない。科学的知見は地方的であり世界的でもある、特殊的であり普遍的でもある、偏狭なものであり超越的なものでもある。

著者はこの論考を通して、19世紀後期から20世紀にかけてのラテンアメリカにおける人間科学の歴史的動向を分析する。そしてグローバルとローカル、あるいは中心と周辺といった二項対立の構造を解体するために、それらの観点を統合した研究の仕方を訴えている。

 

 

THE HUMAN SCIENCE IN LATIN AMERICA

 

 人間科学の特徴は、しばしば個人や人種に対しての仮定や規定を含んでいることである。特にラテンアメリカにおいては、ヨーロッパや“普遍的な”人類との比較を招くことが常とされる。このとき科学の議論は“私たち”が優れているか劣っているか、など人種的血統や民族性についての比較による論点を持ち上げる。ただし、これらの研究の実際的な主題は、例えばアルゼンチンの犯罪者、メキシコの精神疾患者、アンデス山脈のインディアンなどに注目した地方についてのものである。

著者はここで、ラテンアメリカにおける人間科学の歴史について最近の著述が経てきたとする三つの段階を示している。まず第一に、学問はラテンアメリカの科学者とヨーロッパの科学者の対話を反映してきた。これはしばらくのあいだ科学普及の中心/周辺モデルにより支配されたものである。19世紀後期の植民地独立後のラテンアメリカの科学者たちはグローバルサイエンスを取り入れなければならず、北半球の国々により定義された“普遍的な”科学の一員となることに努めた。第二として、学者たちは“中心”の力を弱め、地方行為者の役割を取り戻すためにポストコロニアル理論を用いるようになった。これらの研究はラテンアメリカの科学をそれ自身の言葉で理解しようとし、かつては認識されなかった地方の功績を見出そうとする。しかしながら古い“中心”も無視してはならない。両モデルの膨大な研究のあとを追って明らかになってきた、多様な側面を同時に注目する方法が第三の段階である。少数の野心ある研究が関連性の“虫食い穴”を求めて多結節な繋がりとプロセスを取り扱っている。そのような動的・多層的なアプローチが権限と力についての葛藤を解く可能性を有しているのである。

 

 

PREJUDICE: CENTER, PERIPHERY, AND THE AMBIVALENCES OF EUROCENTRISM

 

 ラテンアメリカでは人類学、犯罪学、心理学、社会科学、さらには地理学、歴史、教育といった科目を包含する人間科学が19世紀後期に実を結び、20世紀には制度化され確立された。これらの分野は、独立後の混乱が退き安定を取り戻すつれ、そして多くの国々で公共事業、公衆衛生、教育などに集中した制度作りが進むにつれ、1870年ごろ以降に急速に拡充した。

20世紀初頭の10年間に、ヨーロッパの科学に携わったラテンアメリカの科学者たちは、それらとの相反的な関係を強調した。その学問的性質にも関わらず、19世紀後期にヨーロッパ実証主義により先導され形成された人間科学は、20世紀になり学者間の大陸横断的な関係に矛盾や躊躇いを生じたのである。ラテンアメリカ人がヨーロッパ科学の高くそびえる象徴と考え方について感嘆と憤怒の念の狭間に捕らわれる一方で、ヨーロッパの科学者たちはますます謙遜し疑念を投げかけられた。その結果、多くの試みがヨーロッパモデルと、伝統の重みや半封建的構造のもとで苦心する多文化社会の煩雑な現実とを和解させるために行われた。

 

 

PRIDE: LOCAL SCIENCE AND EXCELLENCE

 

  中心/周辺モデルへの反動として、人間科学の歴史家たちは国のそして地方の科学的な動態に関心を向けた。この傾向は科学と国家の関係に目を注ぐ結果となった。ラテンアメリカの史料は、とりわけ中央集権化した行動主義的政権のもとで、膨大な国家の科学の事例を提供する。優生学はその明確な国家的性格のもとで現れたし、メキシコ合衆国cientificosと呼んだ近代的な技術階級もその際立った例である。しかしながら、国は単に行為者であるのではない。台頭してきた一連の研究は、現地の経験を目立たせ、社会的、文化的、政治的な現状の理解のためにそれらが重要であることを説く。そして図書館員、患者、助手といったエリートではない行為者の観点を考慮に入れ、形式張った科学的考え方についてより広い社会的・文化的解釈を考察する。

一方では、科学はほとんどいつもエリートに関与するという指摘がある。寡頭政治が確立されエリートを再帰的に自己生成するラテンアメリカの国々においては尚更である。また他方では、地方的な研究が社会改革事業を実施する国家の誤りを指摘する。それは市民権を奪われた人々や従属階級の参与、そして工学的努力を口にすることへの抵抗があったことを明らかにする。この学者の意見の分かれは紛らわしいものであるが、ところで事例研究の増加は地方の経験と超国家的な要素の所産とを複合するので、これらの観点をともに持ち上げるものである。R. Salvatoreはこの傾向を強調することで“ローカルとグローバルの交わりの瞬間”に着目する新しい学のあり方を提示している。

 

 

MANY CENTERS: DYNAMIC AND MULTINODAL SCIENCE

 

 ラテンアメリカにおける人間科学の歴史についての最近の研究は、科学知識の循環の多層的・多結節な再整理へと向かっている。様々な角度からの人類学史の研究や、人口調査のような実際に応用された社会科学の歴史はいま関心を惹きつける分野であるし、新しい政策史はローカル/グローバルの動態に非常に敏感である。

 第二次世界大戦以降、ラテンアメリカ、とりわけブラジルは従属理論として知られる政治経済学の著名な学派を生み出し、社会科学理論の“中心”として頭角を現した。この論者は近代化論の模倣的な規定を拒絶し、全世界における富の不均一な配分に注意をひく。その意味で、同理論はポストコロニアル意識の長期的な恐れがあった。しかし、R.Grosfoguelが指摘するには、確かにラテンアメリカは発展や経済政策に関わるアメリカの主導的態度を賢明に切り抜けたが、結局は馴染み深いヒエラルキーを反映した透視画法的な考え方に閉じ込められたに過ぎないのだという。例えば、ラテンアメリカにおける20世紀の社会科学者たちは、彼ら自身の社会における不平等にはほとんど疑いを抱かなかった。

 

 

FINAL THOUGHTS

 

 ラテンアメリカの人間科学の歴史にはまだ課題が残されている。それは多様な社会に対して説明をすること、従属階級を組み入れること、北部・南部の分割を越えて話すこと、さらに徹底して地域の繋がりを探求することである。しかしながら、以上のような既存の枠組みに捕らわれない、グローバルとローカル、エリートとノンエリート、または中心と周辺とを統合したアプローチによりそれは可能となる。ラテンアメリカにおける人間科学は欧米主導の中心/周辺モデルの見方を脱さなければならないが、地方の経験だけに依存したりポストコロニアルの視点に固執してもならない。著者はそのような偏見と高慢を乗り越えた研究が求められると考えている。